32℃

ある種の地獄めいたSNSに日々のあれこれを書き散らす遊びを一年ほど続けていたのだけれど、再ログイン時に必要な情報を紛失してしまい戻れなくなってしまったのでとりあえず古巣に戻ってきた。雨崎として日記を書くのは随分ひさしぶり、というかまともに日記を書くこと自体ひさしぶりだ。ぬるい地獄に長期滞在していたおかげでどうにかアウトプットの習慣もついたし人間とのコミュニケイションも少しは上達した。いつまでこのへんをぶらついているかわからないけど暫くは雨崎の名で入/出力をしてみたいと思う。日々の泡をただ書き記すこと、いまの私はそれがしたい。ので、する。


感性が剥がれて生活だけが残った。習慣として読書だけは続けているけれどこれも最早惰性でしかないような気がしてくる。ここ数年は映画も音楽も四方山のことも何もかもがゆっくりと遠ざかってゆく感覚があり私はその変化をむなしく受け入れなくてはならなかった。二度と取り戻せないもののことを考えるのは非生産的だし精神衛生上よろしくないとは思うのだけれどつい考えてしまう。かつての自分があらゆるものに向けていた視線や熱は一体どこへいったのだろうと。

ひとはあまりに心を壊すと無気力になってしまうのだという。私はひとに指摘されてやっと自分の心が壊れているらしいことに気づいたが、いつから壊れていたのかわからない。母親曰く3歳頃までは天真爛漫な子供だったそうだからそれくらいにはもう小さなひびくらいは入っていたのかもしれない。

だいぶ前におすすめされて観たヴィレッジという映画のことをフと思い出す。後味の悪い結末だったという印象だけが残っていて話の筋もほとんど憶えていないのだけど、この作品を薦めてくれたのが自宅に呪いの手紙を送りつけてきた人だというのは今でも記憶している。彼女元気かな。というか監督シャラマンだったんだな。