「これはわたしのあやまちです」

アメリカの鱒釣りはこれぞアメリカの鱒釣りといった内容で最後にマヨネーズで締め括るあたりもたいへんアメリカの鱒釣りらしくアメリカの鱒釣りについて不勉強な私はブローティガン氏のアメリカの鱒釣り的な筆致に感心するほかなかったのだけれどもそれはそれとしてアメリカの鱒釣りというのは一体なんのことだったのか誰かご存知ない?

あめあめあめふれ。懐かしい曲。

暗がりの奥にあるものが何なのかほんとうはずっと前からわかっていた、そこにある箱の蓋が開きかかっていることも中身が少しずつ漏れ出していたことも。放棄した責任は期待に為り変わり透明な水は体液で濁ってゆく、そうした流れは堕落を示す足跡であり自欺を糾弾する無言の警告だった。そう、ほんとうはわかっていたんだよ。

あの部屋の鍵は地下にある、と隣人は云った。「あれは捨てたはずだけど」「そうだな、なんでもかんでも躊躇なく捨てちまう脳足りんがな」「捨てたんだよ」「捨てられたもんを俺が拾っただけだ」、そんな訳でいま私の手元には古い部屋の鍵がある。持ち手の部分にうっすらと青錆が浮いている。それを舐めとるか溶かすかすればそれなりの終止符は打てるのだろうけど始まりの終わりも終わりの始まりも午前0時の頭にとっては意味のないことだ。